プロジェクト概要
実施目的・概要
本プロジェクトの目的は以下の三つです。
- ポスト「京」重点課題7で開発・高度化を行ってきた量子論物質計算アプリケーションによる先端的高性能計算(HPC: High Performance Computing)により、省エネルギー次世代半導体材料およびそのデバイス界面、薄膜成長表面での科学的性質の解明・予測を行うこと
- 同じく重点課題7で開発した量子論デバイスシミュレータにより、省エネルギー・パワーデバイスの性能予測を行い、それと実際のデバイス実験データとの比較検討により、高性能デバイスデザインの提案を行うこと
- さらに薄膜成長表面および成長炉ガス相での量子論HPCによる原子反応機構の解明と、成長炉内流体シミュレーションによる温度・分圧分布とを、局所熱平衡概念で結合したマルチスケール量子論エピタキシャル薄膜成長シミュレーションを実行し、高品質薄膜成長技術の進展に資すること
この目的の達成のためのシミュレーション側のアプリケーション群は世界に類を見ない充実度といえます。物質計算アプリケーションの主軸は、富岳に代表される現代および今後のメニーコア超並列アーキテクチャに最適な実空間法(コード名:RSDFT)であり、その優位性は2011年ゴードンベル賞(最高性能賞)の受賞でも裏打ちされています。RSDFTコードはポスト「京」重点課題7遂行中にも進化を遂げ、コデザインチームからの報告によると、「富岳」において、対「京」比較で35倍の性能向上が達成される見込みです。したがって、数万原子から構成される表面・界面系の量子論物質計算がベンチマーク計算ではなく、世界で初めてプロダクション・ランとして実行可能となります。また高機能化の側面では第一原理分子動力学法が実装され、量子論による有限温度での表面・界面反応経路の探索と反応自由エネルギーの決定が、世界的に見て前例のない大規模系に対する長時間シミュレーションの結果として、可能となっています。さらにこのRSDFTと非平衡グリーン関数法(コード名:NEGF)が重点課題遂行中に統合され、実際連携機関のひとつである東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センターでの省エネルギーワイヤー型電界効果トランジスター(FET)の特性を再現するレベルに達しています。量子論エピタキシャル成長シミュレーションは、世界的に見て例のないものであり、今後の科学と技術の進展に向けた大きなチャレンジです。
本課題を遂行する代表機関、連携機関における実験グループも充実しています。窒化物半導体の薄膜成長・デバイス開発の名古屋大学グループ、SiC半導体の薄膜成長・デバイス開発の京都大学グループ、パワーデバイス界面実験の大阪大学グループ、ナノワイヤー型MOSFET開発の東北大学グループ、パワーデバイスで大きなシェアを持つ富士電機(株)のグループ、パワー半導体薄膜成長装置の(株)ニューフレアテクノロジーのグループは、パワーエレクトロニクスにおける世界のトップランナーであり、シミュレーションとの密接な共同によるブレークスルーが期待できます。
データ科学と計算科学の融合という観点からは、二つの取り組みが始まっており、本課題でもその研究開発を継続します。一つは量子論シミュレーションにおける多電子効果を表すエネルギー汎関数の深層学習による開発であり、これによりオーダーN(ターゲットのサイズNに比例した計算コストとなる手法)実空間法シミュレーションが可能になり、より大規模系をターゲットとすることが可能となります。二つ目はエピタキシャル成長シミュレーションにおいて、とくに成長炉内のガス分圧と温度分布および成長表面反応、炉内化学反応との因果関係を明らかにするために、シミュレーションデータと実験データの同化により機械学習の有効性を向上させ、成長条件出しのスループットの飛躍的向上を狙っています(プロセス・インフォ―マティクス)。
最終年度度までに行う具体的な内容は、
- SiC/SiO2デバイス界面での欠陥、不純物のミクロな同定を行い、MOSFET(Metal-Oxide-Semiconductor Field-Effect Transistor)でのキャリヤートラップの原因を明らかにする。異なる面方位での振舞いを明らかにし、デバイスシミュレーション、実験データとの比較検討により、最適なデバイス作成プロセスを提案する。
- GaN/SiO2、GaN/Al2O3、GaN/AlSiOデバイス界面で①と同様にして最適デバイス作成プロセスを提案する。
- GaNエピタキシャル成長における成長表面と気相での成長反応を明らかにし、得られた反応機構とソースガス流体シミュレーションとを結合させた、マルチスケール・シミュレーション技術を確立し、成長実験と共同でより高品質な薄膜成長の処方箋を提案する。
の3点に集約されます。
実施内容の詳細
デバイス界面・成長表面の第一原理計算
1. アモルファスゲート絶縁膜の特性解明
ゲート絶縁膜は半導体デバイス作用にとって欠かせない材料であり、多くの場合それはアモルファス(非晶質)です。アモルファス相の理論的および計算科学的研究は、経験的な手法によって従来行われており、その信頼性は担保されていません。本研究では、SiC、GaNパワーデバイスに用いられているSiO2、Al2O3ゲート絶縁膜およびそれらの混晶(AlSiO)に対して、RSDFTに実装した第一原理分子動力学法(Car-Parrinello Molecular Dynamics: CPMDおよびBorn-Oppenheimer Molecular Dynamics: BOMD)を用いた溶融クエンチ(melt-quench)計算により、現実のアモルファス構造を作成します。アモルファス構造をシミュレートするためには、可能な限り大規模な系を低速でクエンチすることが必要になり、富岳とRSDFTの性能を鑑みて、数千原子規模の系に対して、1度/ピコ秒程度のクエンチ速度によるアモルファス構造作成を狙います。これは世界的にみて誰も成し遂げたことのない、大規模不規則系に対する量子論シミュレーションです。
2. SiC/SiO2およびGaN/ゲート絶縁膜界面の構造と不完全性解明
SiCに対するゲート絶縁膜はアモルファスSiO2が有力です。そのデバイス界面構造、さらにその界面での様々な欠陥(炭素起因、酸素起因、原子層スタック起因等)の原子スケール構造、生成エネルギーをRSDFT計算により決定し、さらにそれらの欠陥が引き起こす電子準位とSiCのエネルギーギャップの相対位置を求め、デバイス内キャリヤーのトラップ準位を割り出します。実験グループのデータと比較検討を行い、MOSFETデバイスの特性向上に向けたデバイス作成プロセスの改善の指針を与えます。GaNを用いたパワーデバイスでのゲート絶縁膜としては、SiO2、Al2O3、AlSiOが候補としてあげられます。1で作成したアモルファス構造とGaNの界面構造、およびその界面での様々な欠陥の構造、生成エネルギーをRSDFT計算により決定し、それらの欠陥が引き起こす電子準位とGaNのエネルギーギャップの相対位置を求め、デバイス内キャリヤーのトラップ準位を割り出します。またGaNエピタキシャル薄膜内の線欠陥、面欠陥の構造を原子スケールで解明し、その欠陥と不純物とくにMgアクセプターの複合体生成の可能性を明らかにします。それらが引き起こす電子準位を調べ、キャリヤー輸送現象との相関を解明します。これらの結果と実験グループのデータと比較検討を行い、MOSFETデバイスの特性向上に向けたプロセス改善の指針を与えます。
3. GaNおよびSiCエピタキシャル成長表面での素過程解明
GaNおよびSiCのMOVPE(MetalOrganic Vapor Phase Epitaxy)成長を例にとり、その成長表面での原子素過程を明らかにします。まず実際のエピタキシャル成長条件下での表面ステップ構造をRSDFT計算で決定し、そのステップ構造での飛来原子(分子)の拡散経路と対応するエネルギー障壁を求め、拡散機構を明らかにします。これらは薄膜結晶成長のステップカイネティクスとして、従来から現象論的に議論されてきたものですが、RSDFT大規模第一原理計算(数千~1万~数万原子系)により初めて量子論による解明が可能になります。さらにステップ端およびテラス上での飛来原子の取り込み反応の反応経路と対応するエネルギー障壁を求め、エピタキシャル成長素過程の全容解明を目指します。
パワーデバイスおよびナノデバイスの量子論デバイスシミュレーション
1. パワーデバイスの特性解明
本研究項目では、前項の「デバイス界面・成長表面の第一原理計算」で得られたSi/SiO2界面、GaN/SiO2界面、GaN/AlSiO界面におけるキャリアトラップに関する知見を、デバイスシミュレータに導入し、デバイスシミュレーションを実行し、測定結果と比較検討することにより、最適なデバイス構造を提案します。パワーデバイスとしての性能向上を図るためには、界面におけるキャリアトラップが、デバイスの伝達特性や出力特性などのトランジスタ特性に及ぼす影響を解明することが必要です。デバイス内トラップの荷電状態は、デバイスの外部バイアス条件により変化し [Phys. Rev. Lett., 102, 036801 (2009)]、また、トラップ電荷は、散乱体として働くだけでなく、他の散乱ポテンシャルを遮蔽する効果もあるため [ICSCRM 2019, 2019年10月]、最適なデバイス構造を探索するためには、現実的なデバイス構造を想定し、デバイス中でのトラップの空間的分布・エネルギー分布を考慮したデバイスシミュレーションを実行し、キャリアトラップがトランジスタ特性に及ぼす影響を解明することが必須です。はじめに、RSDFTを用いて、MOSFET界面に形成される2次元反転層の電子状態(キャリアトラップを含めた電子状態)を求め、デバイス界面に沿った方向のキャリアの分散関係および散乱確率を決定します。それらの結果を、本格実施フェーズにおいて開発した非平衡グリーン関数法(NEGF法)、モンテカルロ法(MC法)、量子補正ドリフト拡散法(QDD法)に基づくデバイスシミュレータに導入し、現実的なデバイス構造を想定したミュレーションを実行します。さらに、実験グループのデータと比較検討を行い、パワーデバイスの性能向上に向けて最適なデバイス構造の提案を行います。
2. ナノデバイスシミュレーション環境構築
本研究項目では、非平衡グリーン関数法(NEGF法)に基づく量子論デバイスシミュレータを用いて、省エネルギー型ナノワイヤトランジスタやナノシートトランジスタなどのナノデバイスの開発指針を早期に得るためのデバイスシミュレーション環境を構築します。本格実施フェーズにおいて開発した大規模量子論デバイスシミュレータは、東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センターで開発された直径60 nm、ゲート長100 nmクラスのナノワイヤMOSFETのトランジスタ特性を概ね良好に再現することに成功しています。しかし、フォノン散乱などの散乱過程を導入していないため、現状、オン電流を若干過大に評価しています。そこで、ナノデバイスのトランジスタ特性やデバイス特性のばらつきに影響を及ぼす可能性がある界面ラフネス、界面トラップ、不純物、フォノンによる散乱過程をデバイスシミュレータに導入し、実デバイスのトランジスタ特性との詳細な比較検討および双方向フィードバックを行い、散乱過程を導入した大規模ナノデバイスシミュレータを完成させ、ナノデバイス開発の指針を早期に得る環境を構築します。
マルチスケール量子論エピタキシャル成長シミュレーション
電気自動車のモーター駆動システム等に使用されるパワーデバイスには1kV以上の耐圧が求められており、デバイスの使用条件を満足するためにはGaNチャネル層のキャリア密度、すなわち不純物のドープ量を1.0x1016 cm−3以下に制御する必要があります [T. Kachi, Jpn. J. Appl. Phys., 53 (2014) 100210]。一方、GaNパワーデバイスの作製に用いられるMOVPE成長ではGa原料にトリメチルガリウム(TMG, Ga(CH3)3)が用いられ、またN原料のアンモニア(NH3)ガス中に微量のH2Oが含まれているため、成膜中に炭素(C)、酸素(O)汚染が起こることが知られています。不純物C濃度を減らすにはTMG供給量を減らすことが一手段となりますが、TMG供給量の減少はGaN成長速度の低下につながります。工業的にはGaN高速成長(> 数10μm/h)が求められるため、このトレードオフの関係を制御する、あるいは解消する手段が求められます。本課題解決のためGaN-MOVPEに関する以下の研究開発を実施します。
1. 気相反応プロセスの解明
従来の気相反応モデルでは、①プロセスの過程で窒素付加物(アダクト)が形成されること、②気相で生成されたGa-N分子が固相表面に吸着して成長が進行すること、が示されている。しかし、最近の名古屋大学実験グループでの高分解能飛行時間型質量分析(TOF-MS)の結果ではアダクトの形成はTMGの1/1000以下[K. Nagamatsu et al., Phys. Status Solidi B 254 (2017) 1600737]であり、また気相中のGa-N生成モデルでは成長速度の面方位依存性を説明できないなど、上述の気相反応モデルの不備が指摘されている。本研究では気象学の分野で発展してきた「データ同化」の手法を用いて、名大実験グループでの結果を再現する、量子論に基づく正確な気相反応モデルを構築する。
2. 表面反応プロセスの解明
現在、窒化物半導体研究者の多くはバルク状態における不純物置換・欠陥生成エネルギーとフェルミレベルの相関図[C. G. van de Walle, J. Appl. Phys. 95 (2004) 3851]を用いて不純物濃度や欠陥構造安定性を議論している。しかし、不純物は成長表面から混入しているので両者には乖離がある。本研究では表面状態(subsurface layer)における欠陥生成エネルギーとフェルミレベルの相関図を作成する。上述のバルク状態における相関図を表面状態における相関図に置き換えることで当該分野の研究者に大きなインパクトを与えると考えられる。
3. 表面エネルギーとステップ密度の相関解析
結晶成長速度は成長表面のステップ密度、キンク密度に依存する。ステップ密度、キンク密度を予測するにはステップ-ステップ間相互作用、テラス表面への吸着原子とキンクとの相互作用を量子論に基づいて解析する必要があった。「京」で取り扱える数千原子程度のスラブモデルではこれらの相互作用を解析することが出来なかったが、「富岳」では数万原子程度のスラブモデルを計算することができるのでこれらの相互作用の解析が可能となる。ここで得られた解析データをパラメータとして動的モンテカルロシミュレーションを行うことにより、表面エネルギーとステップ密度、キンク密度の相関を明らかにすることができる。
4. マルチスケール物理モデルの構築とプロセス・インフォマティクスの概念実証
上記1、2、3を統合してマルチスケール物理モデルを構築する。具体的には、量子論に基づいて得られた上記の、「気相反応」、「表面反応」、「表面エネルギーとステップ密度の相関解析」に関するデータベースを流体解析ソフトウェアに実装する。シミュレーションから得られた知見を名古屋大学実験グループのMOVPE実験にフィードバックし、GaNのパワーデバイス開発を事例としたプロセス・インフォマティクスの概念実証を試みる。